松井繁選手(競艇選手)のプロフィール・特徴・経歴
松井繁選手とは?
松井 繁(まつい しげる)選手は、大阪府出身で大阪支部に所属している競艇選手(ボートレーサー)です。
松井繁選手は、「ボートレースのメッカ」とされる住之江競艇場をホームとし、高い勝率を誇っていて近畿地区のエースとされており、「艇王」と称される植木道彦選手に対し、「絶対王者」という異名を持っている。
そんな絶対王者こと松井繁選手の【プロフィール】【レースでの特徴】【経歴】をまとめてみました。

松井繁選手(競艇選手)のプロフィール
松井繁選手のプロフィールは、以下のようになっています。
所属支部 | 大阪 |
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登録番号 | 3415 |
登録期 | 64期 |
生年月日 | 1969年11月11日 |
出身地 | 大阪府 |
身長 | 169cm |
体重 | 50kg |
階級 | A1 |
師匠 | 不明 |
弟子 | 北村征嗣選手 山本隆幸選手 |
主な同期 | 服部幸男選手 中里英夫選手 鈴木博選手 庵治千代美選手 |
主な優勝レース | 賞金王決定戦(SG・1999年, 2006年, 2009年) 総理大臣杯(SG・2008年, 2014年) 笹川賞競走(SG・1996年, 2001年) オーシャンカップ(SG・1998年, 2006年, 2008年, 2013年) 全日本選手権(SG・2009年) |
松井繁選手は、容姿がタレントのマイケル富岡氏に似ていることから、内田和夫選手から「マイケルレインボーアタッカー」と称されています。また、雑誌にてマイケル富岡氏と対談したこともあります。
松井繁選手(競艇選手)の特徴
松井繁選手は、「絶対王者」と呼ばれるだけあって競艇界のトップレーサーであることに違いはないものの、節間を通してみると最低ラインが準優勝戦、続いて優勝戦ときて優勝とあり、1戦だけを考えてレースをしているのではなく、準優勝戦に進出するために何着に入らなくてはならないかを考慮してレースに臨んでいる印象を受けます。
松井繁選手は江戸川競艇場を苦手としており、これまでに同場での優勝した経験がありません。特に2006年の「江戸川モーターボート大賞」においては、初日から波やうねりで苦しみ、節間で1着を獲ることもままならず予選落ちとなってしまいました。なお、7年後の周年記念競走では、優勝とはならずとも優勝戦に進出しています。
基本的なコース取りは枠なり進入ですが、内寄りのコースが狙える場合はどんどん動く傾向にあります。特に近年は年齢的なこともあるのか、外寄りの艇番となった番組においてできるだけ内寄りのコースに近いコース取りを行うように動くことが多いです。
基本的にどのレースでどのコースからの登場でも連に絡む実力があり、1着を獲る可能性も考えられますが、6コースからの登場の場合のみ連に絡むのが精いっぱいな印象を受けます。
松井繁選手(競艇選手)の経歴
松井繁選手は、1989年3月24日に選手登録をし、1989年5月に地元である住之江競艇場でデビューし、デビューからわずか半年でB1級に、その1年後にはA級に昇格しました。
1992年5月18日に戸田競艇場で開催された「開設36周年記念 戸田グランプリ」で3コースからまくりを決めてG1初優勝を飾りました。
1996年5月27日に児島競艇場で開催された「第23回笹川賞競走」で恵まれによりSG初優勝を飾りました。
2008年9月12日に「福岡チャンピオンカップ」(初日)のドリームレースで勝利し、公営競技史上初の生涯獲得賞金25億円を突破しました。
2009年7月14日に津競艇場で開催された「モーターボート大賞」で通算1,500勝を達成しました。
2009年10月13日に尼崎競艇場で開催された「第56回全日本選手権」でイン逃げを決めて9回目のSG優勝を飾りました。
2009年12月23日に住之江競艇場で開催された「第24回賞金王決定戦」にて3回目の賞金王決定戦覇者となり、10回目のSG優勝を飾りました。
2011年9月8日に鳴門競艇場で開催された「開設58周年記念 大渦大賞」でイン逃げを決めて45回目のG1優勝を飾り、史上12人目となる通算100優勝(SG V10・G1 V45)を達成しました。
2011年12月25日に住之江競艇場で開催された「第26回賞金王決定戦」で2着に入り賞金4500万円を獲得し、公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破を果たしました。