日高逸子選手(競艇選手)のプロフィール・特徴・経歴
日高逸子選手とは?
日高 逸子(ひだか いつこ)選手は、宮崎県出身で福岡支部に所属している競艇選手(ボートレーサー)です。
日高逸子選手は、1996年8月8日に井上邦博氏(現姓:日高)と結婚し、1996年と1997年にそれぞれ長女と次女を出産し、いずれも産後3ヶ月で復帰しました。それでも現在でもトップレーサーとして活躍しており、競艇界の「グレートマザー」と称されています。
そんなグレートマザーこと日高逸子選手の【プロフィール】【レースでの特徴】【経歴】をまとめてみました。

日高逸子選手(競艇選手)のプロフィール
日高逸子選手のプロフィールは、以下のようになっています。
所属支部 | 福岡 |
---|---|
登録番号 | 3188 |
登録期 | 56期 |
生年月日 | 1961年10月7日 |
出身地 | 宮崎県 |
身長 | 155cm |
体重 | 48kg |
階級 | A1 |
師匠 | 不明 |
弟子 | 不明 |
主な同期 | 沖悟選手 熊谷直樹選手 木村厚子選手(2003年逝去) |
主な優勝レース | 女子王座決定戦(G2・1989年) 女子王座決定戦(G1・2005年) クイーンズクライマックス(G1・2014年) |
日高逸子選手は、2008年6月に「私は、迷わない。―46歳・現役トップレーサー・母そして妻」という書籍を出版しています。/p>
日高逸子選手(競艇選手)の特徴
日高逸子選手は、年齢と共にスピードが落ちてきて、ハンドル操作の切れが鈍くなってきたことやスピードに対する恐怖が出てきたと感じているそうです。しかしながら元来の負けず嫌いから来る向上心もあってか、現在でもトップクラスの女子競艇選手として維持しています。
2018年のオールレディースを優勝していないものの、2018年末の第7回クイーンズクライマックス – 決定戦に優出し、2019年4月に行われたオールレディースでは優勝戦に1号艇で登場して3着に入るなど、現在でも優勝争いに絡む実力を持っています。
賞金ランキングにおいても、近年はなかなか上位クラスにランクインすることはないが、長年の経験と実力を持ち合わせており、良いモーターを引き当てた節のレースでは注目です。
日高逸子選手(競艇選手)の経歴
日高逸子選手は、本栖研修所(現・ボートレーサー養成所)での研修を経て、1985年5月に芦屋競艇場でデビューを果たしました。
1989年3月7日に多摩川競艇場で開催された「第2回JAL女子王座決定戦競走」で恵まれにより初優勝を飾りました。
2005年3月6日に大村競艇場で開催された「第18回JAL女子王座決定戦競走」を優出し、4コースからまくりを決めて優勝を飾りました。
2006年8月に桐生競艇場で開催された「第52回モーターボート記念競走」に芦屋競艇場の推薦を受けて出場しました。ちなみに施行場以外の各競艇場から女性競艇選手が推薦されるのは、同大会史上初の事例でした。
2006年12月に住之江競艇場で開催された「賞金王シリーズ戦」で、賞金王シリーズ初出場を果たしました。
2008年10月3日に下関競艇場で開催された「ジュエルセブンカップ」の12Rで通算1,500勝を達成しました。
2010年4月18日に競艇名人戦競走に資格(48歳以上)取得から1年目で初出場し、ドリーム戦にも出走したほか、優出もしました。
2013年4月21日にびわこ競艇場で開催された「第14回名人戦競走」にて3年ぶりに優出を果たしました。
2014年12月31日に住之江競艇場で開催された「第3回クイーンズクライマックス」の優勝戦に1号艇で登場し、1コースからコンマ01のトップスタートを決めて逃げ切り優勝/span>しました。ちなみに、この年の獲得賞金は4096万円で、女子競艇選手としては1位でした(全体では40位)。
2015年7月9日に浜名湖競艇場で開催された一般タイトル戦(初日)の8Rを勝利し、女子競艇選手としては山川美由紀選手以来2人目の通算2,000勝を達成しました。