濱野谷憲吾選手(競艇選手)のプロフィール・特徴・経歴
濱野谷憲吾選手とは?
濱野谷 憲吾(はまのや けんご)選手は、東京都出身で東京支部に所属している競艇選手(ボートレーサー)です。
濱野谷憲吾選手は、1998年から2006年の9年連続で年間獲得賞金1億円以上を達成しました。翌2007年は9124万4500円と下回り、10年連続の1億円プレーヤーとはなれませんでしたが、現在でも賞金王争いに絡むほどの実力を持っています。
そんな賞金王争いの常連である濱野谷憲吾選手の【プロフィール】【レースでの特徴】【経歴】をまとめてみました。

濱野谷憲吾選手(競艇選手)のプロフィール
濱野谷憲吾選手のプロフィールは、以下のようになっています。
所属支部 | 東京 |
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登録番号 | 3590 |
登録期 | 70期 |
生年月日 | 1973年11月8日 |
出身地 | 東京都 |
身長 | 169cm |
体重 | 56kg |
階級 | A1 |
師匠 | 乙津康志選手 |
弟子 | 不明 |
主な同期 | 木村光宏選手 前本泰和選手 水口由紀選手 白水勝也選手 西村勝選手 |
主な優勝レース | 全日本選手権(SG・1998年) チャレンジカップ(SG・2000年) 賞金王シリーズ戦(SG・2001年) 総理大臣杯(SG・2007年) |
濱野谷憲吾選手は、河合克敏氏の漫画作品『モンキーターン』の主人公・波多野憲二のイメージモデルとして知られています。
濱野谷憲吾選手(競艇選手)の特徴
濱野谷憲吾選手は、かつては山崎智也選手とともに関東のエースとされていました。近年は、若手の台頭や自身の太りやすい体質による体重の増加などから低調しています。
1990年の「開設47周年記念 全日本王座決定戦」ではコンマ17のトップスタートを切り5コースからのまくり差し、2005年の「開設52周年記念 福岡チャンピオンカップ」でもコンマ12のスタートを切って5コースからのまくり差しを決めるなど、ターンに定評があり、1Mで敵を抜き去っていく華麗な姿から「艇界のファンタジスタ」と称されていました。
近年はSGやG1競走で勝ち切れないことが多く、SG競走に関しては2007年の「総理大臣杯」を最後に優勝歴がありませんが、それでも優勝争いに絡むほどの実力を持っています。
濱野谷憲吾選手の平均スタートタイミングは0.14で、SG級の競艇選手の中ではやや早めのスタートタイミングとなっています。スタート事故は年に1、2回ほどの頻度で犯しています。
濱野谷憲吾選手(競艇選手)の経歴
濱野谷憲吾選手は、1992年5月19日に平和島競艇場でデビューし、デビュー2走目で初勝利を飾りました。
1993年9月23日に戸田競艇場で開催された一般競走で、19歳10か月での初優勝を飾りました。
優勝戦を勝ち切れない時期が続いていましたが、優勝戦25連敗で迎えた1996年5月6日に平和島競艇場の一般競走で2度目の優勝を飾りました。これで吹っ切れたのか、この年はこの後に3節連続優勝を含めた7優勝を固め打ちしました。この活躍により、1996年10月に福岡競艇場で開催された「第43回全日本選手権競走」でSG初出走を果たしました。
1997年9月11日に桐生競艇場で開催された「開設41周年記念 赤城雷神杯競走」で3コースからを決めてG1初優勝を飾りました。
1998年10月11日に福岡競艇場で開催された「第45回全日本選手権競走」で、5コースからを決めてSG初優勝を飾りました。その後も2000年にSG2勝、2005年にG1を4優勝、2006年にG1を2勝とコンスタンスにG1優勝を重ねました。
2007年3月21日に平和島競艇場で開催された「開設51周年記念 トーキョー・ベイ・カップ」で、1コースからコンマ08のトップスタートを切って逃げ切り、地元でのSG優勝を果たしました。
2009年8月4日に桐生競艇場で開催された「開設55周年記念 赤城雷神杯競走」で、記念優勝回数が20回目となりました。